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平成25年度(2013年度)留学最終報告 (カリフォルニア州立大学ノースリッジ校)

ページID:0003320 更新日:2015年12月30日更新 印刷ページ表示

留学(研修)レポート

CSUN留学最終報告

文化学部文化学科 三回生 中山 秦助

 私は2013年8月より2014年7月までの約1年弱のCalifornia State University Northridge(以降CSUNと省略)での留学を終えました。自分の人生の中で初めてアメリカの地へ足を踏み入れ、異国で生活する環境に置かれ、現地の人々の喋る”生の英語”の速さに圧倒され、日本とアメリカの文化の違いに戸惑い感じたりショックを受けるということは日常茶飯事でありましたが、それと同時に、良い意味で自分の価値観、固定観念や常識などが壊されていき、また自分のアメリカに対し元々持っていたイメージやステレオタイプなどもそれと一致したり、大きく相違していることもあり毎日が新鮮で日々の中から学んだことは、言うまでもなく私の大きな財産になりました。

 さて、自分にとっての初めての学期であるFall Semesterでは、自身の中間報告にも書いたように、授業での課題の多さに圧倒され、毎日それをこなすのに必死でした。自分の力で出来ることも限られ、友達や周りの人々に助けてもらいながら必死に生活をしていた記憶があります。同時に、日本とは随分異なるアメリカの大学の授業スタイルに戸惑いを覚えたりもしましたが、だからこそ新たな環境で生活する上での新鮮さを感じる部分も多くありました。Spring Semester は自分にとって大きな転換期となりました。この学期ではPolitical Scienceという学問を中心に勉強しました。留学前からこの学問に興味があり、受講したいと思っておりましたが、前期のFall Semesterでは、受講登録時期や受講者数の制限もあり念願は叶わず、Spring Semesterになりついに2つのPolitical Scienceのクラスの受講が叶いました。そういった意味でも、自分の留学後半戦とも言えるこのSpring Semesterは特別なものでした。Political Scienceと一口に言ってもその扱う範囲はとても幅広いのですが、私は国際機関にフォーカスした国際政治や国際関係論を学びました。二つのうちの一つのクラスはPolitical science専攻の中でも、一般的にCSUNの上回生向けのクラスであり専門性が高いということもあり、今までこの分野の勉強をしたことが無く基礎の出来ていない自分にとって授業の内容を理解するのに多大な時間を要しました。Spring Semesterが始まり、2週間ほどが経ったことでしょうか、授業の内容に全くついて行けず不安と焦燥に駆られていました。そこで、教授のオフィスを初めて訪ねました。これと言った質問があった訳では無く、ただ単に授業や課題についていけない旨を伝えたかったのと、そうすれば何かが変わると感じたからです。緊張しながらオフィスに入るなり、「どこがわからないの?(What do you wanna ask?)」と聞かれたのですが、つい本音が出てしまい「何がわからないのかすらわからないんです。(I don’t even know what I don’t know.)」と答えたときの教授の唖然とした顔は今でも鮮明に覚えています。そこで私が受けた言葉は“やめたければやめてもいいし、もう少しレベルを落としたクラスに変える手もある”というものでした。そもそも自分はこのクラスを前から受講したくて受講を決めたのではないかと再認識し、諦める気は一切無いということを彼に伝え、ついていけないからと嘆くばかりではなく、自分の出来る限りを尽くそうと決めました。

 それから、私のこのクラスでの闘いが始まりました。他の生徒の発言や議論からも歴然と違いを感じたのですが、彼らの知識量に圧倒され、自分がどれほど劣っているのかと絶望に近いものを感じることも多々ありました。しかし、授業の内容や周りの生徒に追い付きたい一心で、殆んど毎回しぶとく授業直後や教授のオフィスアワーに顔を出し、わからないことは積極的に質問し理解の及ばない範囲を少しでも、自分の中で消化出来るようにと必死でした。彼は、私が留学生であるからと言って決して手加減や特別扱いをせず、厳しくもしかし、熱心に親身になって学びの手助けをしてくれました。このクラスでは3週間に1度程の頻度で、リサーチペーパーのような課題が出され、国際問題や紛争を自分で一つピックアップし、それに対する国際機関の役割やその有用性、国際情勢の枠組みの中での各国の政治体制、隣国との関係などを絡め問題の原因やその行き先を分析していくというものでした。この課題を行うにあたり私が感じた難点は、分析の仕方やその答えは必ずしも一つでは無い、ましてや答えがあるとは限らないものを考えるということでした。一つの問題から生じる様々な要因、要素を繙き、それを学問的に分析してゆくという気の遠くなるような作業で、質の高い分析力などは一朝一夕には身につけられるものではありませんでしたが、だからこそやり甲斐を感じました。また、そういったことに取り組むことで、答えの明確に無いものでも徹底的に自分で”考える力”を養うことに大いに貢献してくれたと思います。学期の最後には、15ページに渡る期末リサーチペーパーを苦闘の末、20日間以上もの時間を費やし完成させ、教授からは「最初の頃よりだいぶ分析が良くなった、最後までよく頑張った!」と最後の最後にお褒めの言葉を頂き、胸を撫で下ろしました。正直なところ、この15ページの期末ペーパーは自分の留学生活の中で一番大変だった作業だったと思います。それだけに、完成させた瞬間の達成感、なんとも言えない安堵感は今でもはっきりと自分の記憶に刻まれています。このクラスを受講するにあたり痛感したのは、自分の英語の拙さということは言うまでもありませんが、自分が国際情勢や国際機関などを取り扱う分野に身を注いでいた為もあり、“英語力”以上に自分の母国語での知識の無さが浮き彫りになり、母国語で出来ないことは、やはり外国語でも出来ないのだということを痛感しました。特に授業の中でのディスカッションや議論で他の生徒達が積極的に彼らの意見を出す中、自分はなかなか発言が出来ないといった場合は、英語力の問題というよりもそれ以前に、そもそも自分は母国語で考えた時ですらこの問題についての見解や意見を持っていなかったり、概要が掴めていないのでは無いかというところに疑問を持ちました。まず母国語での意見があることは大前提で、どう頑張っても無からは何も生まれないということを実感しました。全てを英語でこなさなければならない環境に身を置くことで、自分の元々持っている日本語で得た知識、様々な事柄に対し自分の意見を持とうとすることの重要さに気付きました。

 アメリカと日本との文化での違いで自分が何より感じたのは、王道ではありますが、自分の意見をはっきりと口にするということです。人に何か聞かれたら、YesなのかNoなのか、また分からなければ分からない旨を正直に伝えるということです。“Noと言えない日本人”というのは、私たちの日本の文化をよく体現しているのだと思いますが、その裏には、相手を思いやり気遣うことが大切だとみなされる故に、自分の意見を言えず保守的になってしまうということが根底にあるのではないでしょうか。そういった気遣いのおかげで自分が意見を言わずとも相手が自分の気持ちを察してくれるということはよくあります。例えば、エアコンの効いた部屋で友達が両腕をさすっていたら、自分は少なくともその動作に気づき、彼は寒がっているのだということは言わずとも理解できるし、気が利く人であれば、エアコンの温度を上げようかと聞くくらいのことは出来るのではないのでしょうか。これが所謂、日本の文化、気遣いと言ったところでしょうか。しかし、アメリカでは違います。アメリカでは大抵の場合、自分がどう思い考えているかを口にして初めて双方の意思の伝達が成り立ちます。もちろんどちらにも例外はありますが、もし自分が寒いのであれば寒いということを自分の口で伝え、必要ならばエアコンの温度を上げてもらうよう頼まなければなりません。アメリカ人は気が利かないと言う意味では全くなく、自分の意思を明確に口に出して伝える過程でお互いに理解して行くという点で日本のそれとは大きく異なるのだということを学びました。

 毎週金曜日になると、ISA(International Student Association)という留学生の集まりがあり、異文化交流の場としてほぼ毎週参加していました。この集まりで行うことというのは全く特別なことではなく、オフィスで用意してくれたコーヒーやお菓子などを食べながら留学生同士での気軽に会話を楽しむというものでした。ここに集まるのはアメリカの学生はもちろんですが、アジア、ヨーロッパ、アフリカなど世界各国からの留学生が殆んどで、自分のようにアメリカの大学で勉強をするという同じ境遇にいる彼らとは共感出来ることも多く、留学生特有の悩みなどもよく話のトピックとなり、彼らと意を交えることで様々なことを学びました。そして何よりこういった国際色豊かな学生たちとの交流を純粋に楽しむことができ、1週間終わりの息抜きのような感覚で参加していました。ここで会った何人かの学生とは、プライベートでも出掛けたり、一緒に勉強をしたりするほどの関係になり、このISAの集まりは自分にとって、新たな出会いや交流の輪を広げる助けとなってくれました。そして、もう一つ、私がこういった国際色に富んだ学生たちと話をしたり交流する中で感じていたことは、自分が“日本人”であることです。世界各国からの生徒たちとの会話で殆ど決まって最初に使う言葉というのは、「Where are you from? どこから来たの?」という質問なのですが、そこからお互いの母国についての会話が始まります。相手の出身国について興味を持つというのは、相手とのより円滑なコミュニケーションを築くためには欠かせないことの一つなのではないかと思います。当然相手も自分の国に興味を持っている場合が多く、日本についての質問が多く投げかけられました。日本の一般的な文化、慣習、時には政治経済などについても会話の話題となりました。特に、ここ数年懸念されている東日本大震災における津波被害や被災地域の復興活動、原発問題や放射能汚染などはやはり世界から見ても関心のある話題のようで、「日本は今どうなの?」と聞かれることが多々ありました。しかし意外にも、はっきりと答えられない自分がいることに気付きました。“日本人”にして日本のことをよく知らない、語れないというのはこれ以上無いほどの恥だと感じました。こういった経験から、日本を客観的な視点で考えることで、日本を英語で語る難しさ、意味深さ、そして何より自分がいかに日本という国を知らないかということを痛感しました。日本の外に出て日本人以外の人々との交流の機会が増えれば増えるほど、自分の国をよく知り発信するということは重要であると感じました。

 学期中は授業の課題に追われ、外出や旅行などをする時間はほとんど取れませんでしたが冬休みや夏休みなどの長期休暇中には、カリフォルニアの名所や観光地を満喫できました。そして、自分の中で特に大きな経験となったのが、マサチューセッツ州への一人旅です。CSUNのあるカリフォルニア州はアメリカの真西に位置しているのに対しマサチューセッツ州はアメリカのほぼ真東に位置しているので、西海岸から東海岸への長距離フライトとなりました。さてこの旅の目的の一つは、高知県立大とのもう一つの提携校であるElms Collegeへの訪問と以前から見学したいと思っていたニューヨークに位置する国連総本部の見学でした。留学前からElms Collegeの学生の中に数人の友達がおり、アメリカの地で再会を果たしたいと考えていたからです。彼らの案内や協力も得て、無事Elms Collegeを訪れることができ、とても貴重な経験となりました。さらに、Elms Collegeの国際交流担当のハンプトン先生ともお話する機会を頂き、CSUNでの近況やカリフォルニアでの生活全般などを報告し、激励の言葉をもらい、実に濃い時間を過ごすことが出来ました。アメリカの西と東では大きな違いがあり、同じ国にいるのに時差も3時間あることを知り、アメリカと言う大陸の壮大さを実感しました。その地域特有の文化、風景を存分に感じ、大いに楽しむことが出来た点で、この旅は有意義なものとなりました。一つだけの心残りといえば、国連総本部の外周に本来掲げられているはずの世界各国からの国旗が工事のため全て撤去されており、さらに本来は国連本部の建物内に実際に入り見学ができるのですが、それも工事のため叶わずと言った散々な結果でひどく落胆したのを今でも忘れられません…。次の機会にまたニューヨークを訪れた時には必ず、全てをこの目で見られればと思います。他にも、休日や長期休暇には、大学で出来た友達に多くのカリフォルニアの名所を案内してもらいました。ハリウッドやサンタモニカビーチ、ヨセミテ国立公園などカリフォルニアならではの場所も多く訪れました。さらに、MLBをドジャーススタジアムで観戦したり、アイスホッケーのナショナルリーグを生で観たりといった日本ではできないであろう貴重な経験となりました。

 さて、現在はアメリカから帰国して数ヶ月経ちます、帰国直後は当たり前のことですが日本で多くの友人と再会しましたが、彼らからよく受ける質問は「アメリカどうだった?」「楽しかった?」というものです。正直なところ、このような質問を受ける度に、自分の中では何か歯がゆい複雑な感情が芽生えることがあります。それは単純に、自分がアメリカでの約1年での経験を表すには、言葉では到底及ばないという単純な理由でもありますが、特に「楽しかった?」の質問には「うん、楽しかった!」などと即答できるはずもなく、その理由は確実に、異文化の中で生活する中で体験した楽しさ以外のものにあると思います。やはりアメリカの学生の中に混じり学生生活や勉強をする中で、また日常生活を送る中で数々の困難や苦労がありました。確実にそういった見えない部分の辛さが、少なくとも僕の場合、留学生活の大半を占めていました。もちろん、数々の仲間との出会い交流、異文化の体験は素晴らしく楽しかった思い出として残っているのですが、それ以上に思い通りにいかないことや自分に足りないもの、自分の無力さに直面し悩み、打ちひしがれながらも必死に生きていたという記憶の方が多いです。もちろんその過程で、楽しさや達成感、充実感なども含まれているのだと感じます。つまり、自分の留学生活はただ単純に”楽しかった”と言うものでは決してないのです。

 しかし、このような経験を得られたことこそが、僕の約10ヶ月のCSUNでの留学に意義を持たせていると確信しています。また、このような素晴らしい経験は、留学前から手厚いサポートをして下さった先生方や応援してくれた周りの友達や家族、留学の準備過程でお世話になった方々あってこそできたものだと実感しています。支えてくれた全ての方々に深くお礼を申し上げます。県立大学の提携校への留学制度はこれからも続きますが、自分は一経験者として、自分が先輩方からもして頂いたように次の代へと襷を繋ぎ、”縦の繋がり”を絶やさぬよう少しでも彼らの挑戦を後押しできれば嬉しい限りです。このような長文をお読み頂きありがとうございました。

 

中山君が、CSUN留学中に撮影したハンバーガーの写真 
大好きだったIn-N-Out(インアンドアウト)のハンバーガー

中山君が、CSUN留学中に撮影した各国留学生との写真
CSUNのInternational student(留学生)達との交流

中山君が、CSUN留学中に撮影した親友との写真 
卒業式にて親友のDrew(ドゥルー)とのツーショット