U 人名・人々
2005年12月20日更新
寺田寅彦
高知で高校時代までを過ごした科学者&哲学者。「天災は忘れた頃にやってくる」。
牧野富太郎
公文俊平
ネットワーク社会とかやっている人。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター所長。高知生まれ(1935年)。
有澤廣巳
ダグラス=アリサワの法則(夫が高収入だと妻は働かない、夫の収入が低いと妻は働くというもの)の有澤。1896-1988
何度も内閣総理大臣をやった人。
【興味をもったきっかけ】
高知は龍馬ばかりだが、他にも高知を代表できる候補者がいるのではないかと考え、興味を持った一人です。
さらに、城西館に食事にいったとき、「城西館を吉田茂が定宿にしていた」と聞きました。「なぜ高知の人なのに、定宿が必要なのか」、疑問に思ったからです。
結論としては、吉田茂は高知に住んでいた人ではないから、龍馬の対立候補になりにくいし、宿が必要であるのです。高知とは縁が薄いのですね。
<高知とのつながり>
第一次内閣の時はなかったけど、憲法を作ったので総選挙をしなければならなかった。
そこで、東京生まれの吉田は急遽 高知全県区(現在は高知は高知3区まで)から出馬。
高知とのつながりは、実父は土佐自由党の志士、竹内綱(吉田は5男)が高知県宿毛市出身だったからか。
<高知短大との関係>
関連があるんです!竹内綱は実業家で、長男と一緒に永国寺の土地を私費を投じて購入し、高知工業を作った(と短大・女子大脇の石碑に書いてありました。)。短大隣の竹内という名の不動産屋さんも関係者でしょうか(未確認)。また、ほぼ地続きにあたる土佐女子高に吉田茂の石碑があるのもその縁(未確認)かもしれません。
<城西館との関係>
城西館という、高知の皇室御用達の宿があります。吉田はそこを定宿としていたようですが、高知から出馬しているのに、もしかして高知県に家をもたなかったんでしょうか、、、。今の「地元を大事にする」政治家が毎週末に地元に帰るのとはちょっと違ったんでしょうか。
城西館は1874年(明治7年?)創業。最初は城の女中さん(城西館の談)ですが、この吉田茂との縁で皇室御用達旅館にまで発展したようです。
<<吉田茂の一生>>
<吉田茂:幼少時代>
吉田は竹内綱を実父とするが、実業家吉田健三の養子である。しかし養父は吉田茂11歳(10歳?)のとき死去。莫大な財産を得て、自分に教育投資(でしょうね)。学習院などにはいる。
<吉田茂:外務省時代(ここはどなたかのインターネットから拝借してます。)>
吉田は東大を卒業し、明治39年外務省に入省。牧野伸顕(この人も大臣かなんかだった人だよ)の長女と結婚。昭和3年、田中義一内閣の外務次官をし、タカ派政策の担い手となるが軍部と対立。戦時中は駐英大使などを歴任し、戦争の早期終結を画策。戦後東久邇}・幣原}両内閣の外相。
<吉田茂:内閣総理大臣時代(ここはどなたかのインターネットから拝借してます。)>
昭和21年日本自由党総裁となり第1次吉田内閣を組閣。占領改革を推進し,新憲法を擁護する役割を演じ、保守体制を維持に努めた。昭和23年から第2次〜第5次にわたる長期政権を維持し、戦後日本政治の基本路線を確立した。昭和26年サンフランシスコ講和条約に調印。昭和38年引退後も元老として影響力をもちつづけた。葬儀は「国葬」で営まれ、戦後日本の最大の保守政治家といわれる。(ここまで拝借)吉田学校などといわれる人たちを輩出。
<注>
どなたかからインターネットで書いたものを拝借してます。次のものも読んでみたいと思ってます。ちなみに高知の書店で尋ねたのですが、いずれもないようです。高知は龍馬本は多いのですが、吉田茂は全くない。これも地元の人ではないから、ということでしょう。
ジョン・ダワー『吉田茂とその時代』上下
1981・1991 TBSブリタニカ・中公文庫
John W. Dower : Empire and Aftermath
Yoshida Shigeru and The Japanese Experoence 1979
大窪原二訳
参考¶吉田茂の著作は多くないが、『回想十年』全4冊(もとは東京白川書院)、『日本を決定した百年』が中公文庫に入って読みやすい。そのほか『世界と日本』(番町書房)、『大磯随想』(雪華社)など。評伝では猪木正道『評伝吉田茂』全4巻(読売新聞社)がいちばん詳しい。ほかに塩沢実信『人間吉田茂』(光人社)、細川隆一郎『“吉田茂”人間秘話』(文化創作出版)、大下英治『小説・吉田茂』(講談社文庫)、戸川猪佐武『小説・吉田学校』全4巻(学陽書房)など。
を参考にして書いたものだそうです。
仮谷忠男 (故人) 三木内閣の建設大臣。本四国架橋を実現させた人。本四架橋の経緯などは徳島新聞の特集にあり 高知短大とはゆかりもあり。
入交(イリマジリ)
入交学生服、入交交通、入交建設などあり。
別役(ベッチャク)
寺田寅彦の母方は別役だった(県立文学館の家系図より)。
五百蔵(イオロイ)
公文(クモン)
塾が無ければ読めなかったかも。書店におかれた小学生のドリルなどは、東京と違い、学研等よりもクモンが多い。
「○岡」「岡○」---正岡(子規 は愛媛だけど)、安岡、岡林、岡村、、、、、。
「○の瀬」 ---勝賀瀬(しょうがせ)、柳瀬(やなのせ、やなせ))。アンパンマンの作者のやなせたかしも高知出身。
田の内、土居、小松
「○藤」 佐藤、斉藤、加藤、江藤、後藤、尾藤、、(土佐の山内一豊に使えた、五藤はいる(今は城の南に富士書房を構えている)。五島もあり。)
佐々木、鈴木、高橋(は少しあるか、、)